1995〜2006 | 飛行機嫌いの天才が残した至高のトラップとゴール

デニス・ベルカンプ——アーセナルの「ノンフライング・ダッチマン」が教えてくれた技術の深さ

2026年9月約7分
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Hara Tech 編集部

欧州サッカー専門メディア「ultrasrei.com」編集部。プレミアリーグ・ラ・リーガ・セリエAを中心に、戦術・歴史・選手考察を発信。

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デニス・ベルカンプは飛行機に乗れなかった。だからアウェーのCL遠征には帯同できないことも多かった。しかしそのハンディを補って余りある技術の高さで、ベルカンプはアーセナル史上最高の選手の一人として永遠に記憶されている。

アヤックスの哲学を体に刻んだ少年

デニス・ベルカンプは1969年、アムステルダムに生まれた。アヤックスのアカデミーで育ち、クライフの「美しいサッカー」の哲学を体に染み込ませた。インテル移籍時代は苦しんだが、1995年にアーセナルへ移籍してから真の輝きを取り戻した。

ベルカンプの特徴は「第一タッチ」にある。どんなに難しいボールでも、最初のタッチで完璧にコントロールし、次のプレーへの準備が整った位置に置く。この技術は世界最高レベルで、「止める」ということの重要性をベルカンプほど体現した選手はいなかった。

1998年W杯のゴール——「最高のゴール候補No.1」

1998年フランスW杯準々決勝、オランダ対アルゼンチン。残り1分、フランク・デ・ブールの長いフィードを右手で体の向きを変えながらトラップし、そのまま右足でゴールを決めた。このゴールは「W杯史上最高のゴール」として繰り返し選ばれている。

このゴールの凄さは「三つの動作が一体になっていること」にある。トラップ→体の向き変え→シュートが、ほぼ一つの流れる動作として行われた。DF二人を相手に一瞬で完結したこのゴールは、技術と頭脳の結晶だった。

アーセナルでは2002年と2004年のプレミアリーグ優勝、FA杯複数回など多くのタイトルに貢献。2004年の「インビンシブルズ」でも不可欠な存在だった。引退後はアヤックスでディレクターを務め、オランダサッカーの発展に貢献している。

「飛行機恐怖症」という逸話

ベルカンプが飛行機に乗れなくなったのは1994年のW杯での爆弾騒ぎがトラウマになったからとされる。アーセナルはCLの遠征試合に彼を帯同できないことがあり、これは常に「ハンディ」として語られた。

しかしベルカンプは国内試合と帯同できるCL試合で十分なクオリティを見せ続けた。「飛行機に乗れない天才」という逸話は、サッカー界で最もユニークな制約として記憶されている。制約があってもなお最高の選手でいられる——それがベルカンプという存在の本質だ。

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