1996〜2009 | バロンドール2001年、脚の速さと怪我の狭間で

マイケル・オーウェン——10代の閃光がリバプールからマドリードへ飛んだ理由

2026年5月約7分
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Hara Tech 編集部

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1998年のフランスW杯でアルゼンチンを相手に伝説的なゴールを決めた18歳——マイケル・オーウェンは誰もが認める天才だった。2001年にバロンドールを受賞し、2004年にレアル・マドリードへ移籍した。しかし度重なる筋肉の故障が、燃え上がるはずの炎を早々に消してしまった。

1998年W杯——18歳が世界を驚かせたゴール

1998年6月30日、フランスW杯のアルゼンチン戦。後半開始直後、オーウェンは自陣からのパスを受けると、DFを2人外してGKと1対1になり、右足で鮮やかにゴールへ流し込んだ。そのスプリントの速さ、落ち着き、決定力——18歳と数カ月のストライカーがW杯でこれほどのゴールを決けた例は、後にも先にもほとんどない。

このゴールは「W杯史上最高のゴールの一つ」として今も語り継がれる。イングランドは試合に敗れたが、世界中のサッカーファンがオーウェンの名前を記憶した夜だった。

リバプールでの黄金期とバロンドール2001年

2000-01シーズン、オーウェンはリバプールでUEFAカップ・FAカップ・リーグカップの国内外カップ3冠に貢献し、大車輪の活躍を見せた。UEFAカップ決勝ではアラベサ相手に2ゴールを決め、FAカップ決勝でもアーセナル相手にロスタイム逆転弾を決めた。

この年のバロンドールはオーウェンが受賞した。プレミアリーグのストライカーとしては異例の受賞であり、欧州内でもその実力が最高評価を受けた証だった。しかしこの頃から、ハムストリング(太もも裏)の怪我が繰り返されるようになった。

レアル・マドリード移籍と怪我に奪われたキャリア

2004年、オーウェンはリバプールを離れ、レアル・マドリードへ移籍した。しかしマドリードでの1シーズンは満足なものではなかった。出場機会は限られ、16ゴールを挙げたものの「ガラクティコスのサブ」という印象が残った。翌年にはニューカッスルへ移籍。その後も怪我のサイクルが続き、かつての輝きを取り戻すことはなかった。

2006年のW杯でも出場早々に膝の靭帯を断裂し、イングランドの戦線から離脱。「もし怪我がなければ」という問いが、彼のキャリアには常に付きまとった。1998年のW杯から逆算して「あの18歳が健康なままキャリアを全うしていたら」——その問いはジョージ・ベストと並ぶ「最大のif」として語り継がれる。

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