1993〜2011 | バロンドール1999年受賞と2002年W杯での復活

リヴァウド——バルセロナを独力で救った「左足の天才」とW杯の輝き

2026年11月約6分
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Hara Tech 編集部

欧州サッカー専門メディア「ultrasrei.com」編集部。プレミアリーグ・ラ・リーガ・セリエAを中心に、戦術・歴史・選手考察を発信。

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リヴァウドは1999年のバロンドールを受賞した。しかしより多くのファンが記憶するのは1999年チャンピオンズリーグ最終節での「ハットトリック」と、2002年W杯でロナウドとともに優勝を飾ったブラジル代表でのプレーだ。

バルサの「孤独な天才」

リヴァウドは1972年、ブラジルのペルナンブーコ州に生まれた。デポルティーボ・ラ・コルーニャでスペインサッカーに適応後、1997年にバルセロナへ移籍。当時のバルサは良い意味でも悪い意味でも「リヴァウドのチーム」だった。

1999年リーガ最終節、バルサは優勝に最低でも引き分けが必要だった。リヴァウドは一人でハットトリックを達成しバルサの優勝を確定させた。3点目は試合終了間際の鮮やかなシザーズシュート。この試合だけでバロンドールに値する、とも言われた。

2002年W杯——「二人のRの物語」

2002年日韓W杯、ブラジルはロナウドとリヴァウドのコンビで優勝を果たした。リヴァウドは大会で5ゴールを記録し、ロナウドの8ゴールとともにブラジルの得点を支えた。「R9とリヴァウドのコンビが最強だ」という意見は、この大会のプレーを見たファンなら誰もが頷くだろう。

2002年W杯ではグループリーグのトルコ戦で演技(顔を押さえて倒れる)をしたことで批判も受けたが、それを除けばリヴァウドのパフォーマンスは全試合を通じて最高レベルだった。

「左足の詩人」の遺産

リヴァウドの左足から生まれたシュートとパスには、他の選手には出せない独特のカーブがあった。バルサとブラジル代表での全盛期(1997〜2002年)の5年間は、「左足だけでサッカーがここまで美しくなれる」ことの証明だった。その後はギリシャ、AC Milan、コリンチャンスなど各地を転々とし、40歳近くまで現役を続けた。

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